第39代_弘文天皇_長等山前陵
天皇基礎情報
生 没 | 648年-672年8月21日 |
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在 位 | 672年1月9日-672年8月21日 |
御 父 | 第38代天智天皇(第一皇子) |
御 母 | 伊賀宅子娘 |
諱 | 大友(おおとも) |
エピソード | 『日本書紀』に即位の記述はないが、漢詩集『懐風藻』や『万葉集』には「父・天智が大友皇子を立太子した」とあり、1870年(明治3年)に漢風諡号弘文天皇を贈られた。壬申の乱で父天智天皇の弟大海皇子に破れ自害。しかし「壬申の乱の敗戦後に、妃・子女や臣下を伴って密かに落ち延びた」という伝説もあり、千葉や愛知に関連する史跡が伝わる。 |
アクセス
京阪石山坂本線「大津市役所前」下車徒歩6分。
JR湖西線「大津京」からも徒歩12分。
京都方面からだと、JR湖西線なら「大津京」まで2駅(12分!)でアクセス。山科から京阪京津線で「びわこ浜大津」乗り換えで京阪石山坂本線を乗り継ぐルートもある。こちらは、乗り継ぎ時間を除き20分程度の乗車となるが、逢坂山や大津市街をのんびり電車で行くのもよい。
「大津市役所前」駅から直線では行けないため、北方向へ歩き、グラウンドの角を左折。
山ノ上迎賓館前を左折し、市役所横の細い道を進む。新羅善神堂経由でも遠回りにアクセス可能。
周辺スポット
観光スポット
三井寺
名所・名宝の宝庫。さまざまな文学作品にも登場する。山伏や座禅の体験コースもある。
www.shiga-miidera.or.jp
近江神宮
御祭神を天智天皇とする。競技かるたが行われることで知られ、映画化もされた「ちはやふる」にも登場する。日本では天智天皇が初めて造られたと日本書紀に記される漏刻もある。
oumijingu.org
日吉大社
境内には、東西本宮をはじめとする山王七社がある。西本宮、東本宮がメインであるが、片道約30分の山道を登る奥宮には、大山咋神が東本宮に祀られる以前に宿っていたとされる大岩「金大巌」があり、琵琶湖の眺望もすばらしい。神社であるが、入苑協賛料として大人300円 お納めする。
hiyoshitaisha.jp
グルメ
しづか楼
地元の天然素材をつかった料理が評判の高級料亭。おみやげに自家製の鮒寿司も購入できます。
www.shizukarou.com
第38代_天智天皇_山科陵
天皇基礎情報
生 没 | 626年-672年1月7日 |
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在 位 | 668年2月20日-672年1月7日 |
御 父 | 第34代舒明天皇(第二皇子) |
御 母 | 皇極天皇(重祚して斉明天皇) |
諱 | 葛城(かづらき/かつらぎ) |
エピソード |
乙巳の変で、中臣鎌足らと謀り蘇我入鹿を暗殺する。皇極天皇の同母弟孝徳天皇を即位させ、自分は皇太子となり中心人物として大化の改新を行なった。百済復興を図って白村江の戦いを起こすも敗戦。 667年4月17日近江大津宮へ遷都し、668年2月20日即位した。即位後、日本最古の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成し、公地公民制の土台を築いていった。 皇子時代の660年、漏刻(水時計のこと)を作り、671年(天智天皇10年)には大津宮の新台に置いて鐘鼓を打って時報を開始した。近江大津宮で崩御されたと云われているが、扶桑略記では山中で行方不明になり、沓の落ちていた場所を陵とした、ともある。|
アクセス
京阪・市営地下鉄「御陵」下車し東へ0.4km。入口の拝礼所までは徒歩5分。そこから参道を5分程歩く。
山科駅からは、東海道を経由し徒歩15分程度。
拝礼所から陵墓までの途中に、琵琶湖疎水の看板があったので、疎水経由でもアクセス可能。地図上では、陵墓のすぐ裏を疎水が流れているが、裏側から立ち入ることはできない。迂回が必要と思われる。
周辺の環境
入口は住宅街にあるが、敷地が広く林の中を歩いて行くため、陵墓自体は山の麓にある感じ。
入口脇には、石で作られた日時計が置かれています。
玉石の平らな道を少し歩くと、林の中へ入る門が見えてきます。
まっすぐ歩きます。
林を抜けるとぱっと開けたところに、陵墓があります。
周辺スポット
観光スポット
琵琶湖疎水
琵琶湖から京都へ水を流すため、明治時代に作られた水路です。水が流れているということは、琵琶湖の方が標高が高いんですよね。
発電や水運としても利用されていて、2018年には大津-蹴上間で観光船の運航が復活したようです。
www.biwako-sosui.jp
琵琶湖疎水の中でも、山科疏水は四ノ宮から日ノ岡までの約4.2キロの遊歩道となっていて、桜の季節は地元の人にとっての桜の名所です。
日ノ岡ホッパラ町
観光スポットではないのですが、変わった名前の町名で、しかも飛び地です。
由来は複数あり、
- 九条山にあった粟田口刑場で斬首刑された人の死体を埋める「掘原」場所だった
- 日ノ岡峠を整備する際に出てきた土砂をほっぽった
- 琵琶湖疎水を運行していた船をほっぽって置いておいた
などです。
個人的には、町の形が船に似ているので、船をほっぽっておいた説派です。
この辺りのは、ほかにも「御陵血洗町」というなんともおどろおどろしい地名もあり、地図好きの方は、地図を片手に歩いてみるのも良いと思います。
ただし、地図を見なければ、普通の住宅街でしかありません。
毘沙門堂跡
山科の観光名所です。琵琶湖疎水を登っていったところにあり、桜と紅葉の名所として有名です。
www.bishamon.or.jp
第79代_六條天皇_清閑寺陵
天皇基礎情報
生 没 | 1164年12月28日-1176年8月23日 |
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在 位 | 1165年8月3日-1168年4月9日 |
御 父 | 第78代二條天皇(第二皇子) |
御 母 | 松尾大社家の大蔵大輔伊岐致遠女 |
諱 | 順仁(のぶひと) |
エピソード | わずか2歳という前例のない若さで即位、5歳で上皇に。国務は祖父・後白河宇上皇が取り仕切った。13歳の若さで亡くなった。 |
アクセス
山科と東山五条を結ぶ国道一号線の山の頂上辺りにある。周囲に目立った観光スポットはないが、最寄りの京阪バス「清閑寺山ノ内町」は、三条京阪や四条河原町行きのバス、六地蔵・醍醐バスターミナル行きのバスが10分毎にあるのでアクセスは悪くない。バス停から北へ0.2km。
レンタサイクルで、後白河天皇陵・清閑寺陵・御清閑寺陵・天智天皇陵をまわっても良い。
また、清水寺子安塔近くの門から歩いて5分程度なので、ハイキングがてら行くのもよい。東山五条からは上り坂でかなりきついが、トンネルを抜けて山科方面へ走り抜けるのは爽快。
周辺の環境
国道1号線の峠に近く、お寺、墓地、葬儀があるが一般の住宅はほとんどない。
陵墓基礎情報
地図から判断すると、六條天皇の陵墓は高倉天皇のさらに上に位置する。清閑寺の方へ登っていくと遠くから拝むことができるのが六條天皇陵かもしれない。
所在地 | 京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町 |
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拝観時間 | 常時参拝可能 |
タイプ | 山の上眺望タイプ |
陵形 | 円丘 |
陵印保管場所 | 月輪陵墓監区事務所※御陵印は高倉天皇と同じ |
周辺スポット
第80代_高倉天皇_後清閑寺陵
天皇基礎情報
生 没 | 1161年9月23日-1181年1月30日 |
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在 位 | 1168年4月9日-1180年3月18日 |
御 父 | 第77代後白河天皇(第四皇子) |
御 母 | 皇太后平滋子(建春門院)(平清盛の妻・平時子の異母妹) |
諱 | 憲仁(のりひと) |
エピソード | 平清盛の妹で、はじめは上皇の妹に使えていた建春門院滋子は、次第に後白河上皇の寵愛を受け、8歳の第四皇子憲仁が即位。後白河上皇と平清盛の信頼関係が強い時期で、清盛の次女徳子が中宮として入内。徳子は入内から七年目に後に安徳天皇となる言仁親王を産むが、法王と清盛の関係は悪化していた。鹿ヶ谷の密議の発覚により、清盛は方法を鳥羽殿に幽閉。平氏待望の安徳天皇が即位した。もともと病弱で政治への関心が薄かったため、譲位後半年で一切の政務から退き、学問・詩歌・管絃に没頭した。21歳で生涯尾終える。 |
アクセス
山科と東山五条を結ぶ国道一号線の山の頂上辺りにある。周囲に目立った観光スポットはないが、最寄りの京阪バス「清閑寺山ノ内町」は、三条京阪や四条河原町行きのバス、六地蔵・醍醐バスターミナル行きのバスが10分毎にあるのでアクセスは悪くない。バス停から北へ0.2km。
レンタサイクルで、後白河天皇陵・清閑寺陵・御清閑寺陵・天智天皇陵をまわっても良い。
また、清水寺子安塔近くの門から歩いて5分程度なので、ハイキングがてら行くのもよい。東山五条からは上り坂でかなりきついが、トンネルを抜けて山科方面へ走り抜けるのは爽快。
周辺の環境
国道1号線の峠に近く、お寺、墓地、葬儀があるが一般の住宅はほとんどない。
第77代_後白河天皇_法住寺陵
天皇基礎情報
生 没 | 1127年10月18日-1192年4月26日 |
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在 位 | 1155年8月23日-1158年9月5日 |
御 父 | 第74代鳥羽天皇(第四皇子) |
御 母 | 藤原璋子 |
諱 | 雅仁(まさひと) |
エピソード | 若い頃から遊び人で皇位につくことは期待されていなかったが、近衛天皇の17歳での崩御で、幼少期の即位が普通の院政期に29才で異例の即位。3年後に譲位するが、保元の乱で崇徳上皇との政権争いに勝利。保元の乱では、源義朝、平清盛を誕生させ、平治の乱で平清盛が我が世の春を謳歌治承・寿永の乱と戦乱で武士階級の権威拡大と源頼朝による武士政権が打ち立てられる。この激動期に京の公家政治の中心にいたのが後白河法王。幾度となく幽閉・院政停止に追い込まれるがそのたびに復権を果たし、66歳で生涯を終えた。 |
アクセス
市バス「博物館・三十三間堂前」又は「東山七条」下車。「京阪七条」駅からも徒歩9分程度。三十三間堂の東側。
GoogleMAPだと入口が分かりづらいですが、三十三間堂とハイアットリージェンシーの間の道を入り、法住寺入口の横に天皇陵への入口の門があります。
第95代_花園天皇_十樂院上陵
天皇基礎情報
生 没 | 1297年8月14日-1348年12月2日 |
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在 位 | 1308年9月11日-1318年3月29日 |
御 父 | 第92代伏見天皇(第四皇子) |
御 母 | 左大臣洞院実雄の女・洞院季子(顕親門院) |
諱 | 富仁(とみひと) |
エピソード | 在位中、前半は伏見上皇が、後半は後伏見上皇が院政を敷いていたため、政治上の治績はない。学問に秀で、譲位して上皇になってからは後伏見上皇の第一皇子量仁親王(光厳天皇)の教育を担当し、『誡太子書』を自ら著す。日記『花園天皇宸記』がある。 |
和歌
勅撰入集計百十八首。
「わがこころ 春にむかへる夕ぐれの ながめの末も山ぞかすめる」(風雅集 春御歌)
新年のうららかな夕暮、私の心はおのずと春へ向かうが、つくづくと眺めやるその末も、山がほのぼのと霞んでいかにも春めいている。
アクセス
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市バス「知恩院前」下車し東へ0.5kmmまたは市バス「神宮道」下車。地下鉄だと、東西線「東山」から徒歩5分程度。
地図で見ると入口が分かりづらいですが、青蓮院の隣り(南側)に門があり、そこから坂道を登っていきます。
周辺の環境
知恩院や八坂神社のある京都の中でも特に人気の観光エリアにあります。ラグジュアリーなマンション、ホテル、レストランも多く、観光地でありながらも高級感を維持している稀有な場所でもあります。
周辺スポット
観光スポット
グルメスポット
鍵善良房 四条本店
京都の老舗和菓子店です。喫茶があり、ここのくずきりがのどをつるっと通っている感覚がたまりません。特に、夏の蒸し暑い京都の街を散策した後に食べるくずきりは最高です。
www.kagizen.co.jp
第57代_陽成天皇_神樂岡東陵
天皇基礎情報
生 没 | 869年1月2日-949年10月23日 |
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在 位 | 876年12月18日-884年3月4日 |
御 父 | 第56代清和天皇(第一子) |
御 母 | 藤原長良の娘である女御・高子。『伊勢物語』の主人公在原業平と浮き名を流したと言われる。 |
諱 | 貞明(さだあきら) |
エピソード | 9歳で即位したが、元服後も母の兄である摂政・藤原基経が政治を補佐。883年11月、内裏で従五位下・源蔭の子・益(まさる)(陽成天皇の乳兄弟)が殿上で各殺(殴り殺される)され、天皇が手を下したとの噂が流れた。この年の7月、藤原基が突然辞任を申し出、受理されずも、突然出仕しなくっており、基経から迫られ翌年2月に17歳(満15歳)で退位し、上皇歴65年は歴代1位と長命。 |
アクセス
市バス「錦林車庫前」から徒歩8分程度。です。路線だと市営5(京都駅~岩倉操車場)、市営17(京都駅~錦林車庫前)、市営93(錦林車庫~嵯峨・嵐山)、市営32(京都外大~銀閣寺市営)、急行100(京都駅~銀閣寺)、急行102(銀閣寺~金閣寺・北大路BT)、203(環状)、204(環状)が通っています。
吉田神社のある吉田山の東側の斜面にあるので、吉田神社の方からアクセスも可能です。
周辺スポット
第94代_後二條天皇_北白河陵を参照してください。
cynchroniciteen.hateblo.jp