第80代_高倉天皇_後清閑寺陵
天皇基礎情報
生 没 | 1161年9月23日-1181年1月30日 |
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在 位 | 1168年4月9日-1180年3月18日 |
御 父 | 第77代後白河天皇(第四皇子) |
御 母 | 皇太后平滋子(建春門院)(平清盛の妻・平時子の異母妹) |
諱 | 憲仁(のりひと) |
エピソード | 平清盛の妹で、はじめは上皇の妹に使えていた建春門院滋子は、次第に後白河上皇の寵愛を受け、8歳の第四皇子憲仁が即位。後白河上皇と平清盛の信頼関係が強い時期で、清盛の次女徳子が中宮として入内。徳子は入内から七年目に後に安徳天皇となる言仁親王を産むが、法王と清盛の関係は悪化していた。鹿ヶ谷の密議の発覚により、清盛は方法を鳥羽殿に幽閉。平氏待望の安徳天皇が即位した。もともと病弱で政治への関心が薄かったため、譲位後半年で一切の政務から退き、学問・詩歌・管絃に没頭した。21歳で生涯尾終える。 |
アクセス
山科と東山五条を結ぶ国道一号線の山の頂上辺りにある。周囲に目立った観光スポットはないが、最寄りの京阪バス「清閑寺山ノ内町」は、三条京阪や四条河原町行きのバス、六地蔵・醍醐バスターミナル行きのバスが10分毎にあるのでアクセスは悪くない。バス停から北へ0.2km。
レンタサイクルで、後白河天皇陵・清閑寺陵・御清閑寺陵・天智天皇陵をまわっても良い。
また、清水寺子安塔近くの門から歩いて5分程度なので、ハイキングがてら行くのもよい。東山五条からは上り坂でかなりきついが、トンネルを抜けて山科方面へ走り抜けるのは爽快。
周辺の環境
国道1号線の峠に近く、お寺、墓地、葬儀があるが一般の住宅はほとんどない。