第94代_後二條天皇_北白河陵
天皇基礎情報
生 没 | 1285年3月9日-1308年9月10日 |
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在 位 | 1301年3月2日-1308年9月10日 |
御 父 | 第91代後宇多天皇(第一皇子)〈大覚寺統〉 |
御 母 | 太政大臣堀川基具の養女で実孫の基子(西華門院源基子)。亀山天皇の女御の准三后・近衛位子の官女。 |
諱 | 邦治(くにはる) |
エピソード | 大覚寺統と持明院統との間で皇位継承をめぐる対立が続いていた時期に、後伏見天皇(持明院統)の皇太子となり譲位を受けて践祚。後宇多天皇が院政。歌会・歌合の催行が多く後二条院歌合を催す。『後二条院御集』(原題『愚藻』)を撰集 |
アクセス
公共の交通機関で一番近いのは、市バス「農学部前」です。路線だと市営17(京都~錦林車庫前)、市営203(環状)が通っています。
京阪電車の出町柳駅からも徒歩15分程度、百万遍の交差点から徒歩7,8分程度とアクセスもしやすいので、観光のついでに気軽に立ち寄ることができます。
地図で見ると入口がわかりづらいですが、今出川通りのローソンの横に、参拝所への入口があります。
離れたところからだと気付きづらいですが、すぐ前に来れば見落とすことはないでしょう。
周辺の環境
後二條天皇北白川陵は、京大理学部の建物が集まるエリアにあります。
周辺は京都の学生街ということもあり、昔からあまり変わらない京都らしいエリアです。
京都らしいといっても、純日本文化というわけでなく、新しいものや海外のものを取入れ、日本文化に取込んでしまう、というような京都らしさです。
誰にとっても居心地のよい街だと思っています。
周辺スポット
併せて参拝がおすすめの天皇陵
第68代後一條天皇 菩提樹院陵
第57代陽成天皇 神樂岡東陵
第63代冷泉天皇 櫻本陵
北白川陵から吉田神社へ向かい、吉田山を越えると反対側の斜面に、後一條天皇陵、陽成天皇陵があります。さらに山を下し、白川通りを越えて哲学の道を越えたところに、冷泉天皇陵があります。
観光スポット
吉田神社
吉田山緑地の斜面に、吉田神社をはじめとする複数の神社が点在する場所です。
吉田神社境内にある末社「大元宮」の御祭神は天神地祇八百萬神。
吉田神道の教義では、「大元宮」は宇宙軸を表していて、始まりの神(虚無大元尊神・そらなきおおもとみことがみ)を中心に、そこから生まれる八百万の神を祀っています。
そのため、全国の神々を祀る社として、さまざまな御利益を期待できるそうです。
宇宙軸という言葉から思い出すのは、天之常立神です。『古事記の宇宙』によると、約100億年くらい前に現れた神様で、天御中主神(宇宙神)、高皇産霊神(宇宙を結んで凝縮)、神皇産神(ビッグバンで神々が産まれる)、宇摩志阿斯訶備比古遅神に次いで5番目の神様です。ネットで調べる限り関連はなさそうですが。。。
大元宮は、神官の吉田兼倶(よしだかねとも)建立しました。中央の八角形の本殿に虚無大元尊神を中心に、全国の式内神3132座を祀って、その奥にある東神明社に天照皇大神、西神明社に豊宇氣比売神を祀っています。つまり、日本の全ての神がここに集まっているそうです。
吉田神道は神仏習合と言う概念(神は仏の仮の姿)から、仏は神の仮の姿とする神本仏迹と考えで、日本古来の惟神(かんながら)の道こそが森羅万象の根源であると説き、その中心が虚無大元尊神です。吉田兼倶が神祇管領長上の役職を得て、全国の神社を管理し、以降幕末まで全国の神社の総帥だったそうです。
www.yoshidajinja.com
重森三玲庭園美術館
東福寺方丈庭園や松尾大社庭園を手掛けた、作庭家の重森三玲氏の旧書院・庭園部です。見学には事前予約が必要となりますが、親族の方が建物や庭園を説明してくださいます。
そんなに大きな建物、お庭ではありませんが、丁寧に整えられていて、「いつかこんなお庭のあるところに住みたいなあ」をおもえる場所です。
www.est.hi-ho.ne.jp
東山慈照寺
言わずと知れた銀閣寺です。歩いて15分で移動できます。
www.shokoku-ji.jp