第86代_後堀河天皇_觀音寺陵
天皇基礎情報
生 没 | 1212年3月22日-1234年8月31日 |
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在 位 | 1221年7月29日-1232年11月17日 |
御 父 | 第80代高倉天皇の第二皇子の守貞親王(後高倉院)の第三皇子 |
御 母 | 持明院基家の娘、北白河院・陳子 |
諱 | 茂仁(とよひと) |
エピソード | 鎌倉幕府は1221年の承久の乱で、後鳥羽上皇・土御門上皇・順徳上皇の三上皇を配流し、仲恭天皇を退位させ、次代皇位継承者には、乱の首謀者の後鳥羽上皇の直系子孫を除外したことから、後鳥羽上皇の兄・守貞親王の三男で出家していなかった茂仁王(後堀河天皇)が10才で即位することになった。後堀河天皇の時代の政治は、ほとんど幕府主導だった。『和漢兼作集』『新勅撰和歌集』に詩歌が選ばれている。 |
アクセス
JR・京阪「東福寺」下車し東へ1.5km徒歩20分程度。市バス「泉涌寺道」からも東へ1km。
陵墓基礎情報
所在地 | 京都府京都市東山区今熊野泉山町 泉涌寺内 |
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拝観時間 | 時間外は門が閉まっていると思われるが、空いていることもある |
タイプ | 山の下静寂タイプ |
陵形 | 円丘 |
陵印保管場所 | 月輪陵墓監区事務所 |