第58代_光孝天皇_後田邑陵
天皇基礎情報
生 没 | 830年- 887年9月17日 |
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在 位 | 884年2月5日-887年9月17日 |
御 父 | 第54代仁明天皇(第三皇子) |
御 母 | 藤原総継の娘・贈皇太后沢子 |
諱 | 時康(ときやす) |
エピソード | 陽成天皇が母方の叔父である藤原基経によって廃位されたのち55歳で即位。即位前には、親王が就任する慣例となっている官職のほぼすべてを歴任。和歌・和琴などに秀で、桓武天皇の先例にならい鷹狩を復活させた。親王時代に相撲司別当を務めていた関係から、即位後相撲を奨励している。晩年は、政治改革を志向し、親王時代の住居であったとされる宇多院の近くに勅願寺創建を計画するも、いずれも実現を見ぬままに終わり、跡を継いだ宇多天皇の「寛平の治」や仁和寺創建に継承されることになる。 |
和歌
「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ」
あなたのために、春の野に出て若菜を摘んでいる私の袖に、雪が降りかかってきております。