可愛之山陵(男狭穂塚陵墓参考地)
古墳情報
被葬者 | 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと) |
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エピソード | 日本書紀によると、天照大神の子である天忍穂耳尊と高皇産霊尊の娘である栲幡千千姫命との間に天で生まれ、葦原中国の主にしたいと考えた高皇産霊尊により地上に降ろされた。これを天孫降臨と呼ぶ。大山祇神の娘木花開耶姫(このはなさくやびめ)を娶とる。 |
天皇家との関係 | 初代神武天皇の曾おじいさん(瓊瓊杵尊-火闌降命(ほすせり の みこと)-鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)-神武天皇) |
想定造営時期 | 5世紀前半(古墳時代中期)頃 |
比定の経緯 | 『日本書紀』では陵について「筑紫日向可愛之山陵」と記載されるが所在地は詳述されていない。『延喜式』諸陵式では遠陵の「日向埃山陵」として記載されるが、「在日向国、無陵戸」とのみ付記されるため、『延喜式』当時には所在が失われていたと思われる |
場所 | 宮崎県西都市大字三宅西都原 |
周辺の環境
西都原古墳群をレンタサイクルでまわった記録です。
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