月輪陵・後月輪陵内部の陵墓配置図を作ってみた
月輪陵・後月輪陵の内部はどうなっているの?
月輪陵の横の道から、一般の墓地へ向かう道を上っていくと、月輪陵の内部を伺うことができます。
数多くの塔が建てられていて、どれが、どの天皇の陵墓はわかりません。
また、月輪陵・後月輪陵に分かれていますが、どこで区切られているのでしょうか?
そんな疑問を解決してくれたのは、「山陵遙拝帖」です。
「山陵遙拝帖」を参考にGoogle Mapで配置図を作成
大正10年に出版された「山陵遙拝帖」には、月輪陵・後月輪陵の配置図が載っています.
kindai.ndl.go.jp
該当ページはP.289です。
この配置図とGoogle Mapの航空写真を照らし合わせ、敷地内の配置図を作ってみました。
一.第87代_四條天皇
三.第108代_後水尾天皇
五.第109代_明正天皇
六.第110代_後光明天皇
七.第111代_後西天皇
八.第112代_靈元天皇
十.第113代_東山天皇
十二.第114代_中御門天皇
十四.第115代_櫻町天皇
十六.第116代_桃園天皇
十八.第117代_後櫻町天皇
十九.第118代_後桃園天皇
二十一.第119代_光格天皇
一十三.第120代_仁孝天皇
(ナンバリングは、「山陵遙拝帖」の番号に合わせています)
月輪陵と後月輪陵は分かれていない。
後月輪陵に埋葬される、第119代_光格天皇・第120代_仁孝天皇の陵墓は、左上の二十一と右下の二十三です。宮内庁のホームページでは分けていますが、遙拝所・御陵印とも共通であり、敷地内でも月輪陵のほかの天皇陵との違いは写真からはみつけられませんでした。
並び順は空いているところに作っていった?
並び順は、なんとなく空いているところに作っていったような感じに見えます。