第122代_明治天皇_伏見桃山陵
天皇基礎情報
生 没 | 1852年11月3日-1912年7月30日 |
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在 位 | 1867年2月13日-1912年7月30日 |
御 父 | 第121代孝明天皇(第二皇子) |
御 母 | 生母は権大納言の中山忠能の娘である中山慶子で嘉永5年9月22日(1852年11月3日)13時頃に京都石薬師・中山邸にて出生 |
諱 | 睦仁(むつひと) |
エピソード | 若い頃には度々地方へ赴き、明治5年~18年にかけて行われた「六大巡幸」では、ほぼ全国各地をくまなくまわり、新しい日本の君主として国民に強く印象づけられた。習志野・大涌谷・新高山は天皇による命名。次第に民衆の前に現れる機会は減り、軍事的なイベントに限られるようになる。全国の学校に天皇の御真影が下賜され、神格化されていく。日清戦争、日露戦争と長年の激務がたたり、糖尿病に腎炎を併発し、61才で崩御。1920年には明治天皇を祭神とする明治神宮が創建され、神となった。天皇の誕生日を祝う天長節は今でも文化の日(11月3日)として残っている。 |
和歌
和歌を好み、93,000首ともいわれる御製を残している。
「うみこえて はるばるきつる 客人に わが山水の けしきみせばや」
海を越えてはるばるやって来てくれた客人に日本のすばらしい山や水の風景を見せたいなあ
「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」
四方の海にある国々は、皆兄弟姉妹と思う世に、なぜ波風が騒ぎ立てるのであろう
東山区・伏見区陵墓参拝ルート
月輪陵~伏見桃山陵を参拝した記録です。
cynchroniciteen.hatenablog.com
周辺の環境
桃山駅方面から歩くと、木々に囲まれた緩やかな上り坂の参道を歩いて行くが、実は正面には急な階段があり、チャレンジするのもよい。
桓武天皇陵方面から、森の中を散策しながら向かうのもおすすめ。近隣の住民のランニングやウォーキングコースにもなっている。
遙拝所のある山頂は、広々として、とてもきれいに整えられていて、清々しい気持ちになれる。
遙拝所の東に向かう下り坂があるが、3分程歩くと昭憲皇太后 伏見桃山東陵がある。こちらも、丁寧に管理されている。