歴代天皇陵参拝スタンプ

第17代_履中天皇_百舌鳥耳原南陵


天皇基礎情報
| 生 没 | ?-405 |
|---|---|
| 在 位 | 400-405 |
| 御 父 | 仁徳天皇 |
| 御 母 | 皇后磐之媛命 |
| 諱 | ー |
| 和風諡号 | 去来穂別天皇(いざほわけのすめらみこと)、大江之伊邪本和気命(おおえのいざほわけのみこと |
| エピソード | 仁徳天皇の長男で後を継ぐも、即位直前に弟(住吉中皇子)に反乱を起こされて宮殿を焼かれてしまう。武器庫のある石上神宮に逃げ込み瑞歯別尊(のちの反正天皇)に命令し住吉中皇子を殺し、その後に即位した。没後、子の市辺磐皇子らは大泊瀬幼武尊(のちの雄略天皇)に殺害されるも、皇子の子は継承して顕宗天皇・仁賢天皇となった。 |
アクセス
JR上野芝で下車し西へ0.4km。仁徳天皇陵(大山陵古墳)から大山公園を通って向かっても徒歩30分程度です。
第16代_仁徳天皇_百舌鳥耳原中陵


天皇基礎情報
| 生 没 | 257-399 |
|---|---|
| 在 位 | 313-399 |
| 御 父 | 應神天皇 |
| 御 母 | 皇后仲姫命 |
| 諱 | ー |
| 和風諡号 | 大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)、聖帝(ひじりのみかど) |
| エピソード | 誉田天皇の崩御後、最も有力だった菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)と互いに皇位を譲り合ったが、太子の薨去により即位した。即位元年、都を難波高津宮に遷した。即位4年、天皇が高い山から国を見渡すと、どの家にも煙が昇っていなかった。これにより民衆が炊事もできないほど貧しいことを知った。その後三年間、課税と労役を全てとりやめることにした。 |
アクセス
JR百舌鳥で下車し西へ0.4km。三国ヶ丘で下車して、周囲をぐるっと回りながら遥拝所まで向かうのもおすすめです。
周辺の環境









第18代_反正天皇_百舌鳥耳原北陵


天皇基礎情報
| 生 没 | ?-410 |
|---|---|
| 在 位 | 406-410 |
| 御 父 | 仁徳天皇 |
| 御 母 | 皇后磐之媛命 |
| 諱 | ー |
| 和風諡号 | 多遅比瑞歯別天皇(たじひのみつはわけのすめらみこと)、之水歯別命(たじひのみずはわけのみこと) |
| エピソード | 『古事記』によると、身長9尺2寸半(約3.04m)、水歯別命の名は歯の長さが1寸厚さは2分(4ミリ)で上下等しく整っていたため水歯と名付けられたとされる。倭の五王の珍に比定する説が有力視される。兄弟継承した初の天皇。 |
第47代_淳仁天皇_淡路陵


天皇基礎情報
| 生 没 | 733- 765 |
|---|---|
| 在 位 | 758- 764 |
| 御 父 | 舎人親王 |
| 御 母 | 大夫人山背 |
| 諱 | 大炊(おおい) |
| 和風諡号 | |
| エピソード | 758年孝謙天皇から譲位を受け践祚。しかし践祚後も政治の実権はほとんど仲麻呂が握り専横が目立つようになる。藤原仲麻呂の乱には加担しなかったものの、仲麻呂の乱が失敗に終り最大の後見人を失った。乱の翌月、上皇より仲麻呂と関係が深かったことを理由に廃位を宣告され、5日後の764年11月11日淡路国に流される。淳仁天皇は廃位、太上天皇は追号されず、上皇は重祚して称徳天皇となった。漢風諡号は明治になってから付けられたもので、古文書では廃帝と呼ばれ1870年8月20日に、弘文天皇・仲恭天皇と共に明治天皇から淳仁天皇の諡号を賜られた。 |
アクセス
淡路交通バスで御陵前にて下車し南へ1km。
公共交通機関だと、神戸から高速バスと路線バス/コミュニティバスを乗り継いて向かうことになりますが、検索する時間帯によってさまざまなルートが示されます。
【例1】高速舞子→福良(高速バス) 福良→御陵前(路線バス_縦貫線) 徒歩10分程度
【例2】高速舞子→洲本IC(高速バス) 洲本IC→御陵前(路線バス_縦貫線) 徒歩10分程度
【例3】高速舞子→陸の港西淡(高速バス) 陸の港西淡→福井(らん・らんバス 南北幹線) 徒歩15分程度
他にも、少し離れたバス停から歩くルートも表示されます。
例1は高速バスで終点の福良まで行って、路線バスで少し戻るルート。例2は高速バスで洲本ICで下車し、路線バスで御陵前まで行くルート。例3は陸の港西淡路で下車し、コミュニティーバスで陵墓の少し離れたバス停で下車するルートです。
例2が時間的にも金額的にもいいのではないかと思いますが、バスの本数は多くないので、都度検索したほうがいいと思います。検索する際は乗り換えルートを調べるだけでなく、GoogleMAPでどの辺りを通るのか確認するとよいと思います。海鮮料理で人気の飲食店も多いので、事前に調べて予約する等しておくといい感じの日帰り旅行になると思います。
周辺の環境



しかし、周囲は田畑だらけで、南東方向に向かって畑の横の道を歩いていくと、木々に囲まれた天皇陵にたどり着きます。



池の東側をぐるっと半周できるので、池の方から天皇陵を見るのもよいです。



周辺スポット
第45代_聖武天皇_佐保山南陵


天皇基礎情報
| 生 没 | 701年9月18日- 756年6月8日 |
|---|---|
| 在 位 | 724年3月3日- 749年8月19日 |
| 御 父 | 文武天皇 |
| 御 母 | 尊称太皇太后宮子娘 |
| 諱 | 首(おびと) |
| エピソード | 仏教に深く帰依し、741年には国分寺建立の詔を、743年には東大寺盧舎那仏像の造立の詔を出した。743年には墾田永年私財法を制定したが、これによって律令制の一部が崩れることになった。 |
第43代_元明天皇_奈保山東陵


天皇基礎情報
| 生 没 | 661-721 |
|---|---|
| 在 位 | 707-715 |
| 御 父 | 天智天皇 |
| 御 母 | 嬪蘇我姪娘 |
| 諱 | 阿閇(あへ) |
| エピソード | 天智天皇の第四皇女子で、母は蘇我倉山田石川麻呂の娘の姪娘。持統天皇は父方では異母姉、母方では従姉で、夫の母であり姑にあたる。大友皇子は異母兄。天武天皇と持統天皇の子の草壁皇子の正妃であり、文武天皇と元正天皇の母。草壁皇子は即位することなく早世したため、遺児である珂瑠皇子が成長するまで持統天皇が皇位を一時期預かったのち697年珂瑠皇子が文武天皇として即位し、阿閇妃は皇太妃となった。文武天皇が25歳で崩御した際、孫の首(おびと)皇子(聖武天皇)は幼かったため、皇后を経ないで即位した。藤原京から平城京へ遷都、『風土記』編纂の詔勅、先帝から編纂が続いていた『古事記』を完成、和同開珎の鋳造を行った。和銅発見の地である埼玉県秩父市黒谷に鎮座する聖神社には、元明天皇下賜と伝えられる和銅製蜈蚣雌雄一対が神宝として納められている。 |
アクセス
近鉄奈良からバスで奈保山御陵にて下車 し東へ0.2km。
周辺の環境

大通りから、木々が生い茂った道に入っていった先にあります。
周辺スポット
第44代_元正天皇_奈保山西陵


天皇基礎情報
| 生 没 | 680-748 |
|---|---|
| 在 位 | 715-724 |
| 御 父 | 草壁皇子 |
| 御 母 | 元明天皇 |
| 諱 | 氷高(ひだか)・日高、新家(にいのみ) |
| エピソード | 天武天皇の皇太子である草壁皇子の長女として生まれる。母は阿閇皇女(元明天皇)。草壁皇子は即位せず689年に薨去したため、祖母の持統天皇の即位の後、同母弟の珂瑠皇子が697年に持統天皇から譲位されて天皇の位に即いた。707年文武天皇が崩御し、その遺児である首親王(聖武天皇)が幼かったため、母の阿閇皇女が即位し元明天皇となった。715年皇太子である首親王が若いため、母の元明天皇から譲位を受け即位。717年から藤原不比等らが中心となって養老律令の編纂を始める。720年日本書紀が完成。723年、三世一身法が制定され、これにより律令制は崩れ始める。 |



































