陵墓スタンプラリーの旅

歴代天皇の陵墓の参拝記録です。現在過去の参拝記録を元に日々更新中。

第55代_文徳天皇_田邑陵




天皇基礎情報

生  没 827年8月- 858年10月7日
在  位 :850年5月4日- 858年10月7日
御  父 第54代仁明天皇(第一皇子)
御  母 太后・順子(左大臣藤原冬嗣の娘)
諱    道康(みちやす)
エピソード 承和の変で皇太子・恒貞親王が廃され、伯父・藤原良房に推され立太子した。文徳天皇は更衣・紀静子所生の第一皇子惟喬(これたか)親王*1を皇太子としたかったが、良房の娘・明子(あきらけいこ)が第四皇子(惟仁親王、のちの清和天皇)を産んだため、惟仁親王が生後8か月で3人の兄を押しのけ立太子した。文徳天皇は、一度も内裏正殿を居住の間として生活をすることがなく、自身も病弱で朝廷の会議や節会に出る事も少なかった。9世紀後半の摂関政治など、朝廷の政務における「天皇の不在化」の原因を文徳天皇期の天皇不在が影響しているとする説もある。

アクセス


京福電車北野線「鳴滝」下車し徒歩約6分。ナビだと入口にたどり着けないので、宮内庁の地図も合せて参照した方がよい。天皇陵の南西のY字路に入口がある。

周辺の環境





入口は住宅街にあるが、陵墓自体は奥まったところにある。
周囲の一部が瓢箪池となっていて、お堀のようにも見え、橋を渡ったところにある。

陵墓基礎情報

所在地 京都府京都市右京区太秦三尾町
拝観時間 常時拝観可能
タイプ 住宅街出現タイプ
陵形 円丘
陵印保管場所 桃山陵墓監区事務所

周辺スポット

天皇

観光スポット

広沢池

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東西南北約300メートル、周囲約1.3キロの溜池で、渡来系氏族の秦氏が溜池として造ったといわれる。平安時代から観月の名所とされ、貴族や歌人西行松尾芭蕉などが訪れて歌を詠んだ。池畔からは小倉山や愛宕山などの嵯峨野の山々を見わたせ、四季折々に楽しめる。

東映太秦映画村

有名な映画村は、徒歩17分程度のところにあります。
www.toei-eigamura.com

*1:伊勢物語在原業平の業平は惟喬親王の母方の姪婿。伊勢物語には、2人の交流が随所に描かれている。