第55代_文徳天皇_田邑陵
天皇基礎情報
生 没 | 827年8月- 858年10月7日 |
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在 位 | :850年5月4日- 858年10月7日 |
御 父 | 第54代仁明天皇(第一皇子) |
御 母 | 皇太后・順子(左大臣・藤原冬嗣の娘) |
諱 | 道康(みちやす) |
エピソード | 承和の変で皇太子・恒貞親王が廃され、伯父・藤原良房に推され立太子した。文徳天皇は更衣・紀静子所生の第一皇子惟喬(これたか)親王*1を皇太子としたかったが、良房の娘・明子(あきらけいこ)が第四皇子(惟仁親王、のちの清和天皇)を産んだため、惟仁親王が生後8か月で3人の兄を押しのけ立太子した。文徳天皇は、一度も内裏正殿を居住の間として生活をすることがなく、自身も病弱で朝廷の会議や節会に出る事も少なかった。9世紀後半の摂関政治など、朝廷の政務における「天皇の不在化」の原因を文徳天皇期の天皇不在が影響しているとする説もある。 |